2006年08月25日

No.157 名馬ファイル 外伝

奇跡を信じた軌跡

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トウカイテイオー


 それはまだ私が小学生の頃だ。
 父親は剣道家にして柔道家。そんな私の家には柔道場があった。
 姉は柔道が好きだったし、何より素質というものにも恵まれていた。
 まぁ姉の強さは私がこのブログで散々悲鳴混じりで解説していたのでおわかりのことだとは思う。
 実際小・中・高を通して県では一番強かった。

 一方、長男として産まれた私は、生まれつき喘息を患っており、体が弱かった。
 週に二、三度は体を壊し、布団の中で1日を過ごす生活。
 そんな中で、私の唯一の楽しみはラジオから流れてくる野球中継だった。
 その頃、実はまだ家にテレビがなかったのでラジオなのである。
 夜、ナイターをラジオで聴く父親。そのふすま1枚隔てた部屋に寝ていた私は、それを聴くのが何よりの楽しみだったのだ。
 光景は見たことがないが、関西独特のハイテンションな解説と、時折聞こえる歓声が好きだった。
 たくさんの人が夢中になる野球ってどんなんだ!
 ルールどころか野球をやっている光景すら見たことがないくせに、私は野球が好きになっていた。

 で、小学生3年生の夏。
 私の体は年とともに結構丈夫になってきた。
 そこで私は親に頼み込んで野球をやりたい旨を必死に伝えた。
 父は丈夫になってきた私を柔道か剣道で鍛えたい様子だったが、父にしてみれば元々体の弱かった私はガラス細工のように思えたのだろう。
 野球で体を鍛えることになれば、という前提のもと、私は野球チームに入ることを許された。

 さすがにその頃になると野球というものはどんなスポーツなのか知っていた――というよりむしろ、布団で過ごすことの多かった私はその間、野球の本ばかりを読んでいた。そのお陰で、野球のことを同年代の誰よりも詳しくなっていたと思う。
 でもやっぱり知識で得るものと体を使うことは別だ。
 だけど体を最初からどのように使えばその結果が得られるか、という知識の元に練習すれば上達は早い。
 いつしか投手を任せられ、5年生のときにはもう6年生を抑えてエースナンバーを与えられるに至った。

 が、この頃になると当初の約束どおり、柔道を本格的に習わせ始められた。
 野球は体を鍛えるという目的でチームに入ることを許されたから、反対できない。
 私はイヤでイヤで仕方なかったが、とにかく野球のための体力作り、と心の中で割り切って練習した。

 ――で、秋季大会も終わった6年生の秋、事件が起こった。

 柔道で投げ飛ばされた際、受身もとれず右肩から畳に叩きつけられ、粉砕骨折してしまったのだ。
 私は右利きなので、当然右肩を骨折したら投げられない。
 投手として、致命的な怪我だった。

 実はこの頃、シニアリーグからのスカウトと、父が薦める柔道部の強い中学校との間で私は揺れていた。
 これは自慢だが、小学生のとき、私は全国大会に出場する原動力となった投手だったからだ。
 私は甲子園に憧れていたので、硬球のシニアリーグに入りたかったが、父は柔道の道に進ませたかったようで、姉の通っていた中学へ進めと五月蝿かった。

 が、怪我で環境はガラリと変わった。
 右肩の骨折は思いのほか重く、完治する見込みはなかったからだ。
 野球をするには右肩は致命的。
 柔道をするにも右肩の故障は引き手の関係でこれまた治っても絶望的だったからだ。

 私はまたしても小さい頃のように布団で過ごす日々となった。
 その頃である。私の人生に、競馬が交わったのは……。
 私が興味をもった馬は、2度の骨折から復帰してきた馬だった。
 でも天皇賞では大敗していたらしく、人気はない。
 だが、その馬は勝った。その頃は知らなかったが、後にジャパンカップという大きなレースに勝ったということがわかった。
 だが続く年末の大一番、有馬記念ではまったくの見せ場なく惨敗。
 それを見て私はガッカリした。所詮、そんなもんなんだ、と思った。

 私は結局普通の、地元の中学校へ通うことになった。
 春になっても肩の痛みは引かず、野球も柔道もない日々。
 その頃の私と言えば、とにかくゲームをすることくらいしか楽しみがなかった。
 あとは新しく出来た友人とTRPGをしたり、本を読んだり、そんな生活だ。
 スポーツ、というものにはトンと縁がなくなってしまった。

 だけど、胸の内にはモヤモヤした感覚が消えない。
 不完全燃焼、という5文字がピッタリくる日々に思えてならなかった。
 だけど肩はうずくし、どうすることもできない。
 よくグレなかったよな、とか自分でも思う日々であった。

 で、またしても事件は起きた。いや、目撃した、というほうが正しい。
 年末恒例の有馬記念。
 昨年大敗したあの馬が、1年ぶりに出走していたのだ。

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 ――しかも勝ってしまった。

 力強く、しなやかに。
 芦毛の馬と並び、ステッキを揮うとぐんぐん伸びる鹿毛の馬。
 この頃、競馬のことを何も知らなかった昨年の頃と違い、ある程度の知識を得ていた私は、このレースの凄さがよくわかった。

 私は体の震えが収まらない。
 3度の骨折を経て尚勝った馬がいるという現実に。

 トウカイテイオー

 無敗の三冠馬、皇帝・シンボリルドルフの初年度産駆である。
 彼はこの奇跡と呼ばれた有馬記念での勝利で現役を引退してしまうことになったが、私の胸のモヤモヤに対する答えがそこにあった。
 馬だって頑張っている。
 その頑張りがきっと奇跡を生んだのだ。

 ――私も頑張ろう。

 全力で投げるには至らなくても、内野、ファーストなら出来る。
 左打者だった私だが、バットをスムーズに振るために左腕が主動の右打者として活路を見出すべく努力した。
 その頃活躍しだしたイチローにも憧れ、足を活かした好打者として活路を信じ、ひたすら走った。
 その努力が正しく報われたかどうかはわからない。
 高校を終え、少年の頃夢見た甲子園は夢のままで終わったからだ。
 トウカイテイオーのような奇跡の勝利を収めることはできなかった。
 だが、その軌跡には後悔はない。
 
 人のエゴで走ることを余儀なくされ、さらに三度の骨折を繰り返しても走り続けた馬、トウカイテイオー。
 何度折れようとも、力強く、しなやかなあの走りは蘇った。

 諦めないということ。

 大事な何かを教えてくれた名馬、トウカイテイオーは今も北海道の社台スタリオンステーションで頑張っている。
 諦めない彼は、これから先も頑張り続け、いつか親子3代にわたるダービー馬をだすかもしれない。


 競争成績


posted by BlueTasu at 00:00| Comment(3) | TrackBack(1) | 名馬ファイル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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